私たちは、江戸より厚着で9月を過ごしている
9月、あなたは何を着ますか
薄物をしまい、単衣を出す。カレンダーどおりに。
そして駅までの道で、後悔する。
前回「「6月と9月は単衣」を決めたのは誰か——衣替えカレンダーと気候のズレを紐解く」で、衣替えカレンダーの出どころをたどりました。あのカレンダーを着物のために決めた人は、どこにもいませんでした。
今回はその続きです。調べていくうちに、もっと落ち着かない事実に行き当たりました。
私たちは、江戸の人より厚着で9月を過ごしています。

江戸の夏着は、麻の単衣でした
江戸幕府は武家の出仕装束について年4回の衣替えを定め、そのうち夏の装いとされたのが麻の単衣でした(前回記事参照)。
当時これを帷子(かたびら)と呼びます。
東京国立博物館は、帷子を「夏季に着用する単仕立の麻製の衣装」と説明しています。
裏地なし。素材は麻。仕立ての分類は、現代の単衣とまったく同じです。

帷子 白麻地松竹梅鶴亀模様(江戸時代・19世紀)東京国立博物館蔵/出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)CC BY
江戸は、夏を刻んでいませんでした
夏の期間は、旧暦5月5日から8月末まで。およそ4ヶ月です。
その間ずっと、麻一本。
「初夏は単衣、盛夏は薄物、初秋はまた単衣」——この三分割は、江戸にありません。
夏は、ひとつづきでした。
旧暦8月末は、新暦の9月末
前回の記事では、始まりだけを換算しました。旧暦5月5日は、新暦のおよそ6月ごろ。
終わりも直してみます。旧暦8月末は、おおむね9月末にあたります。
江戸の人は、今の9月に、まだ麻を着ていた。
※ 旧暦と新暦の対応は年により前後します。ここでの換算は目安であり、厳密に断定するものではありません。

旧暦と新暦の対応は年により前後します。図中の位置はおおよその目安です。
並べると、逆転しています
・江戸の9月 ⇔ 麻。裏地なし。通気性が高い
・現代の9月 ⇔ 絹の単衣。裏地はないが、麻より風を通さない
裏地がない点は同じです。素材が違います。
気温は上がったのに、着るものは厚くなりました。
そして、誰が決めたのか分かりません
ここが、この記事でいちばん書いておきたいことです。
「6月単衣・7〜8月薄物・9月単衣」という三分割を定めた法令や文書を、調べても特定できませんでした。
着物の世界では、明治以降に役人の制服が洋服になり、それにあわせて着物の衣替えも現在の形に改められた、と説明されるのが一般的です。
しかしこの説明は、「誰が」「いつ」「どの文書で」を欠いています。
明治政府が定めたのは、洋装の官制服についての夏服・冬服の期間だけです(前回記事参照)。その枠の内側を、誰かが後から刻んだ。それが今のカレンダーです。
刻んだ人の名前も、刻んだ年も、残っていません。
私たちが守っているものの正体
整理します。
・江戸から続くもの ⇔ 麻の単衣を、夏にひとつづきで着るという実践
・明治から続くもの ⇔ 6月1日・10月1日という洋装の官制服の日付
・出どころ不明なもの ⇔ その間を三つに刻んだ現在のカレンダー
私たちが「伝統」だと思って守っているのは、三つ目です。
いちばん新しく、いちばん根拠が薄く、そしていちばん暑い。
消えたのは名前で、モノではありません
帷子という言葉は、今ほとんど使われません。残っているのは経帷子(きょうかたびら/死装束)くらいでしょう。
けれど、モノは消えていません。
・江戸 ⇔ 帷子
・現代 ⇔ 小千谷縮、近江上布、宮古上布……「麻の着物」
呼び名が変わっただけです。呉服店で見かける麻の着物は、江戸の夏着の直系にあたります。
なお、帷子は武家が裃(かみしも)を着る際に下に着る正式な装いでもありました。一方、浴衣の語源となった湯帷子(ゆかたびら)も帷子の一種で、平安の貴族が蒸し風呂で着た麻の単衣が、江戸に湯上がり着へと変わったものです。
浴衣の祖先と、武家の礼装。同じ言葉から、両方が出ています。

帷子 玉子色麻地風景模様(江戸時代・18世紀、茶屋染)東京国立博物館蔵/出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)CC BY
ただし、フォーマルは別です
結婚式やお茶会など、格が問われる場では判断が変わります。麻の着物は、現代ではフォーマルに用いないのが一般的です。
慣習は地域や流派、家によっても差があります。
この記事が扱っているのは、あなたが自分で選べる場面です。9月のフォーマルについては、月内に別記事で扱います。
編集部の立場
前回、私たちは「暑ければ体感で選んでいい」と書きました。
今回は、言い方を変えます。
あなたが9月に汗をかいているのは、伝統を守っているからではありません。
守っているのは、いつ誰が引いたのかも分からない線です。江戸の人は、そんな無理をしていませんでした。
麻を着て9月を過ごすことのほうが、よほど江戸に近い。
あなたが手に取る一枚を決めるのは、名前も残っていない誰かが引いた線ではなく、その日の気温です。

出典・参照
- 東京国立博物館蔵「帷子 白麻地松竹梅鶴亀模様」(江戸時代・19世紀)/ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)/帷子の定義について参照
- 東京国立博物館蔵「帷子 玉子色麻地風景模様」(江戸時代・18世紀、茶屋染)/ColBase/武家女性の夏の帷子について参照
- 『世界大百科事典』「帷子」(日野西資孝執筆)/コトバンク/武家における帷子の用法について参照
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「衣替えの歴史を知りたい」/江戸幕府の衣替えについて参照
- ポーラ文化研究所「ゆかたの語源」/湯帷子と浴衣の関係について参照
- Wikipedia「湯帷子」/平安期の湯帷子の用途について参照









