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真・行・草 ── 畳まれていた背中

お辞儀には、三つの深さがあった。

今日もどこかで頭を下げた。エレベーターを降りるとき。コンビニのレジで。駅のホームで。角度は、たぶんどれも同じだった。十五度か、二十度か。差があったとしても、もう測れない。

かつて、お辞儀には三つあった。真、行、草。深さの違いだった。場の違いだった。誰に対して下げているか、自分が何者か、それが背中の角度に書かれていた。

動作は残っている。意味だけが、抜けている。

『小笠原百箇条』。寛永九年(一六三二)の写本である。徳川の世が定まって、まだ三十年も経たない頃。表紙はなく、薄い和紙に細字で、太刀の渡し方、状箱の持ち方、輿に会ったときの礼が記されている。

お辞儀そのものの段は、いまの読者がさがすと見つけにくい。「拝」「礼」という語は、文字としては何度も出てくる。だが、ここでは姿勢の図ではなく、状況の指示である。誰に対するときに、どの手に何を持って、どちらに膝をつくか。背中の角度については、何も書いていない。

書く必要が、まだなかった。身体の方が、本より先にあった。

二百五十年が経つ。明治二十二年(一八八九)十二月、佐藤清三郎の刊で『絵本女礼式』が出る。武家の写本ではない。木版に図を入れ、家庭の女子に売る、薄い小冊子である。

頁を開くと、座る、立つ、歩む、襖をあける、拝する。図はすべて着物姿で描かれている。袖をどう処理するか。裾をどう畳むか。膝をどこに置くか。それが、絵と文でくり返される。「両手の指先を向ふへなし、頭をも下げ、左右の拇指と次指とを突き合せて、其の上に額を着け、腰の高くならぬ様に背を平らになして拜するなり」。

書いて教える必要があった、ということ。武家の身体が、絵で示さねば渡らなくなっていた。

昭和九年(一九三四)、習文社編で『挨拶の言葉遣ひを基本としたる現代式礼儀作法』が出る。題に「現代式」が入る。それまでの礼法書には、なかった語だ。

頁を繰ると、目次に「和服禮裝」と「洋式禮裝」が並ぶ。「日本料理」と「西洋料理」が並ぶ。座敷で客を迎えるときの挨拶のすぐ次に、洋室で迎えるときの挨拶が置かれている。「ほんとうにようこそお出で下さいました」──和服でも洋服でも、同じ口で言う。

ここまで来てもまだ、お辞儀は生きている。けれど、もう三段階ではない。真も行も草も区別されない。「丁寧に」と「軽く」、おおむね二つしかない。背中の目盛りが、ずいぶん粗くなっている。

洋服が混ざるとき、別のことが起きていた。袖が短くなれば、袖の処理は消える。帯がなくなれば、上体を倒すための支点が消える。動作の文法を支えていた衣服が、ひとつ抜けていた。

原典

拜の様 ──
両手の指先を向ふへなし、頭をも下げ、
左右の拇指と次指とを突き合せて、
其の上に額を着け、
腰の高くならぬ様に背を平らになして
拜するなり。

— 絵本女礼式,佐藤清三郎 刊,明治二十二年(1889)

失われたもの

真・行・草の三段階。深さの違いで関係を示す、という考え方そのもの。

そして、その三段階を支えていた身体 ── 帯で締めた腰、袖に重みを持った手、裾で畳まれた膝。

着物を着なくなったことと、お辞儀の形が消えたことは、別々のできごとではない。ひとつの忘却の、二つの面である。

今日も、頭を下げた。十五度だったか、二十度だったか、もう覚えていない。