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二つの梅

箪笥の梅と、雨の梅と。

梅雨という言葉には「梅」が入っている。着物の箪笥にも、梅がある。同じ文字で、別の記憶だ。

「梅に鶯文様友禅染振袖」江戸時代 京都国立博物館蔵
「梅に鶯文様友禅染振袖」江戸時代 京都国立博物館蔵

桜より先に、梅が来た。中国から、宮廷を経て、歌の中に入った。奈良時代の貴族たちが庭で歌を詠むとき、見上げたのは梅だった。白く、早く、まだ雪が降るかもしれない空の下で咲く花。平安になって桜に歌壇の主役を譲ったが、梅は染織の語彙から消えなかった。職人たちは梅を手放さなかった。冬の終わりの文様として、早春の身支度として。箪笥に畳まれた梅柄は、二月の朝の記憶だ。

「五月雨の景」江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵
「五月雨の景」江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵

六月には、梅の花はもうない。木に残っているのは実だ。青く、重く、湿気と熱の中でひそかに熟れていく。梅雨という言葉は中国から来た。中国語の梅雨(méiyǔ)は明快だ——梅の実が熟れる頃の雨。日本語に渡ってくると、語源は揺らいだ。黴が生えやすいから黴雨(ばいう)だ、という説も生まれた。花の梅と雨の梅は、一つの文字を共有しながら、別々の記憶を持っている。

「草木実譜」コマ12(毛利梅園、江戸後期) 国立国会図書館デジタルコレクション
「草木実譜」コマ12(毛利梅園、江戸後期) 国立国会図書館デジタルコレクション

梅の実は、着物の文様にならなかった。六月の台所口に並ぶ青梅の籠も、塩と赤紫蘇と何週間もの待ち時間も、染織の語彙に入らなかった。花が芸術になった分、実は身体になった——腹に入り、薬になり、何年もかけて漬け込まれた。花の梅は書かれ、実の梅は食われた。

原典

春さればまず咲く宿の梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ

Haru sareba mazu saku yado no ume no hana / hitori mitsutsuya haruhi kurasamu

春が来て、庭でまず咲く梅の花を。ひとりで見ながら、この春の日を暮らすのだろうか。

— 万葉集 巻五 梅花の歌三十二首,山上憶良,天平2年(730年)

梅雨の由来

中国語の梅雨(méiyǔ)に由来し、梅の実が熟す頃の雨を指す。日本では「黴雨(ばいう)」=黴が生えやすい雨という別解も並存した。

着物における梅

梅花文は晩秋から三月頃の文様。鶯との取り合わせは古典的な組み合わせ。梅雨の季節の文様ではない。

梅から桜へ

万葉集では梅118首、桜44首。古今集で逆転。梅は染織、正月飾り、そして台所へと場所を変えた。

失われたもの

梅雨の「梅」が、花ではなかったこと。着物に描かれた梅は花の梅——詩歌が謼え、染織が写した、冬の終わりの白い花。だが梅雨が名を借りたのは実の梅だ。六月、青く重く枝に垂れる、誰も詠まなかった梅。箪笥の中の梅と、雨の中の梅は、同じ文字で別の記憶を持っていた。そのことを、かつては知っていた。いまは知らない。

用語

梅雨つゆ / tsuyu

六月から七月の雨季。中国語の梅雨(méiyǔ)に由来する。梅の実が熟す頃の雨。

五月雨さみだれ / samidare

梅雨の長雨、初夏の雨。夏の季語。芭蕉「五月雨をあつめて早し最上川」で知られる。

梅花文ばいかもん / baikamon

染織における梅の花の文様。梅が詩歌の主役だった奈良時代の宮廷文化に由来する冬の文様。

梅仕事うめしごと / umeshigoto

六月に行う梅の実の加工作業。梅干し、梅酒、梅ジャムなど。都市部の家庭からはほぼ消えた。

送り梅雨おくりづゆ / okuri-tsuyu

梅雨明け前の最後の雨。どれが送り梅雨だったかは、終わってからしかわからない。

雨の中に梅の木が立っている。実はほぼ熟れた。箪笥の中で、和紙に包まれて、同じ木がまだ花でいる。